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横浜地方裁判所 昭和39年(ワ)223号 判決 1968年11月28日

原告

星野幸一

ほか三名

被告

日産自動車株式会社

主文

一、被告は、

原告星野幸一に対し金三六三万八、五六〇円、

原告星野カツエに対し金三〇万円、

原告星野君子、同星野秀夫に対し各金一〇万円、

ならびに右各金員に対する昭和三九年三月六日以降支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告星野幸一のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は被告の負担とする。

四、この判決は原告星野幸一において金一〇〇万円の担保を供するとき、その他の原告らにおいて無担保で、それぞれ仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告ら

(一)  被告は、

原告星野幸一に対し金四五六万九、一二二円、

原告星野カツエに対し金三〇万円、

原告星野君子、同星野秀夫に対し各金一〇万円、

ならびに右各金員に対する昭和三九年三月六日以降支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告

(一)  原告らの請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二、請求原因

一、(事故の発生)

原告星野幸一は、昭和三二年一〇月から被告会社本社工場労務部保安課に警備員として勤務していたが、昭和三六年三月一九日午前零時頃、横浜市鶴見区大黒町にある被告会社工場に火災が発生した際、被告会社の被傭者かつ同原告の上司であつた訴外八木貞作の出動命令に従い、被告会社の被傭者である訴外山田全が運転する消防自動車神八―す〇九二九に外三名の警備員と共に乗車し、火災現場に向う途中、同市同区同町二六番地先道路上において右自動車が顛覆したため、車両もろとも路上に転落し、因つて加療約一年を要する頭頂部挫創等の傷害ならびに回復の見込のない性格変化、不眠、頭痛、意欲欠除、記銘記憶障害、不穏、易怒性を伴う頭部外傷後遺症の傷害を負つた。

二、(被告の責任)

(一)  自動車損害賠償保障法(以下自賠法という。)による責任被告は前記事故当時、本件自動車を自己のために運行の用に供していた。

(二)  使用者責任(予備的主張)

1 訴外山田全の過失

事故現場は、西方新子安方面から東方大黒町方面に至る幅員約一七メートル、ほぼ直線の道路上で、道路中央より北側約八メートル幅の部分が舗装され、通行可能であつたが、道路中央より南側は工事中のため通行できなかつた。そして事故地点には北東より南西に幅員約七メートルの鉄道引込線の軌道敷が道路と斜めに交差し、軌道敷は道路面よりかまぼこ状にやや高くなつており、敷石の一部は破損してへこんでいた。この軌道敷の東側道路はその中央より北側約三メートル幅の部分だけ舗装され、舗装部分に接する北側約四・五メートル幅の道路部分は非舗装であり、かつ軌道敷より一〇センチメートルほど低くなつていた。訴外山田全は本件自動車を運転し、前記道路の舗装部分北端を新子安方面から大黒町方面に向け、事故地点の約一五〇メートル手前から時速七、八〇キロメートルの、車体を左右に動揺させる程の高速力で進行してきた。このような状況であつたから、自動車運転者としてはそのまま軌道敷付近を通過すれば、さらに車体の動揺を招いて操縦の自由を失い、道路端に突進して衝突、横転等の事故を惹起する危険を容易に予想し得たのである。それゆえに、訴外山田全は右軌道敷を通過しようとする際には安全な急停車と適確なハンドル操作ができる程度にあらかじめ減速進行し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたのである。にもかかわらず、訴外人はこれらの注意義務を怠つて漫然前記速度のまま進行したので、軌道敷の直前で危険を感じて急制動を講じたが、時既に遅く自動車は軌道敷上で車両の安定を失い、左傾横転して道路左端の電柱に激突し、同乗していた原告星野幸一らを道路端に放り出した。

2 被告会社は訴外山田全を雇傭しており、本件事故は右山田が被告会社の業務執行中に発生させた。

三、(損害)

(一)  原告星野幸一の失つた得べかりし利益

原告星野幸一は本件事故により受けた前記後遺症のため労働能力を喪失し事故の翌日から就労しないで今日に及んでいる。同人は、昭和三五年中に被告会社から総額三八万六、六五九円、一か月平均三万二、二二一円の給与を受けており、事故当時満三七年一一か月(大正一二年四月一五日生)であつて、平均余命までなお三三・五年である。そして、同人は本件事故前は心身とも極めて健康であつたから、その労働可能年限は少くとも満六〇才とみて差支えなく、事故後の稼働可能期間は少くとも二六五か月ある。されば右平均月収額を基礎にして年五分の割合による中間利息を月毎ホフマン式計算法により控除して事故時における給与の一時払額を計算すると五六三万三、三一四円となる。これが原告星野幸一の失つた得べかりし利益額である。ところで原告星野幸一は、昭和三六年四月一日以降昭和四〇年九月二五日まで、労働者災害補償保険法による休業補償金など総額二〇六万四、一九二円の支給を受けているので前記金額から右金額を差引いた三五六万九、一二二円が同原告の失つた得べかりし利益の残額である。

(二)  原告星野幸一の精神的損害

原告星野幸一の本件事故による負傷の部位、程度、動機、年令、職業、家族数、生活状況、生活環境など諸般の事情を総合するとその被つた精神的損害は筆舌に尽し難く大きい。これが慰藉料は一〇〇万円が相当である。

(三)  原告星野カツエ、同星野君子、同星野秀夫の精神的損害

原告星野カツエは同星野幸一の妻として、原告星野君子、同星野秀夫は同星野幸一の子として、同星野幸一から扶養もしくは保護養育されてきたのに、幸一の前記傷害のためこれらの期待を失い、反対に、今後は独立して社会生活を営み得ない幸一のため妻子共同して療養看護に努めなければならない状態となつた。即ち、妻子たる三名が被つた精神的苦痛は甚大である。前記同様の諸般の事情にかんがみこの精神的損害に対する慰藉料は原告星野カツエについて三〇万円、原告星野君子、同星野秀夫については各一〇万円が相当である。

四、(結論)

よつて、被告に対し原告星野幸一は逸失利益の賠償金と慰藉料の合計四五六万九、一二二円とこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和三九年三月六日以降支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を、原告星野カツエは慰藉料三〇万円、原告星野君子、同星野秀夫は各慰藉料一〇万円、ならびにいずれもこれら各金員に対する右昭和三九年三月六日以降支払済まで右同様の割合による遅延損害金を、自賠法もしくは民法の規定により支払うべきことを求める。

第三、請求原因に対する認否

一、請求原因第一項の事実中、傷害の部位、程度は不知、その余の事実は認める。

二、(一) 同第二項(一)の事実は認める。

(二)1同(二)1の事実中、本件事故現場道路は事故当時中心線から南側の部分が道路工事のため通行できなかつたこと、ならびに事故現場には北東から南西に幅員約七メートルの鉄道引込線の軌道敷が道路と斜めに交差し、軌道敷は道路面よりかまぼこ状に高くなつていて一部敷石の剥げた部分があつたこと、それから、軌道敷の東側道路は一部非舗装であり、軌道敷より低くなつていたことは認める。本件事故が訴外山田全の過失によつて生じたことは争う。

2同(二)2の事実は認める。

三、(一) 同第三項(一)の事実中、原告星野幸一が被告から昭和三五年中総額三八万六、六五九円の給与を支給されたことならびに同原告の生年月日は認める。同原告が本件事故により労働能力を喪失したことは争う。

(二) 同(二)の事実は争う。

(三) 同(三)の事実中、原告星野カツエが原告星野幸一の妻であり、原告星野君子、同星野秀夫が幸一の子であることは認める。その余の事実を争う。

四、同第四項を争う。

第四、被告の主張

一、本件事故について原告星野幸一は自賠法第三条にいう「他人」に該当しない。即ち、同原告は被告会社労務部保安課所属警備員であつて、工場の一般警備、災害の予防ならびに発生した災害の防止を主たる任務としていた。もちろん被告会社の施設に火災が発生すれば直ちに現場に急行し消火活動に当ることもこの任務の内容に含まれる。かような仕事の性質上危険の伴なうことはやむを得ないことで、一旦火災が発生し出動する以上、上司の指揮のもとに運転者ばかりでなく全員が一致協力して危険に対処しなければならないことは当然である。したがつて本件のような火災現場に向う消防自動車の乗員は普通の場合における同乗者とは本質的に異る。つまり消防自動車の運転者と同一視すべきものである。本件の場合、同乗車星野幸一は同法第三条にいう「他人」には該当せず、換言すれば、同人が自ら自動車を運転して自ら自己の身体に傷害を招いた場合と同様、損害賠償請求権はないものというべきである。

二、A 本件事故発生にあたり、訴外山田全には消防自動車運転者としての注意義務に欠けるところはなかつた。即ち

1  消防自動車は緊急自動車として最優先通行権を有しており、一刻も早く火災現場に到達しなければならない使命をもつている。さればその運行に多少の危険が伴うことはやむをえないことで、それ故その運転者に対する事故防止義務も通常の自動車運転者のそれと全く同じでありうるはずがなく、それよりかなり軽減されていなければならないはずである。つまり、緊急自動車運転者の事故防止のための注意義務の基準は危険な状況が現実に著しく高度である場合か、極めて容易に高度な危険として予見される場合に求められるべきである。

2  ところで事故現場道路にある軌道敷は道路に永久的に設置されたものであり、その設置に当つては当然車両の運行の妨げとならないように、又危険のないよう配慮がなされているはずである。事故現場では軌道敷の敷石の剥げた部分もアスフアルトで補修され、原告ら主張のような凸凹はなかつた。又軌道敷の向う側から始まる非舗装部分は進路の全部にわたつていたものではなく、進路約半分の四メートルの部分は舗装された平坦な道路で、車両の進行に妨げとなるようなものもなく、非舗装部分も平坦で、車両の通行に差支えはなかつた。

3  右のような状況に加え、事故当時はトラツクなどがかなりのスピードで前記軌道敷のある道路を通過していたのであり、本件消防自動車が右軌道敷付設道路を通過するに際して、かなり高速のスピードであつたとしても、事故の発生に著しく危険であつたという状況ではなかつた。そして事故現場道路には事故地点手前にも鉄道引込線の軌道敷があり、車両が軌道敷を通行すれば車体が揺れることは当然であつて、原告らの主張のように、本件自動車の同乗者が車体の浮揺を感じたからといつて、自動車が必ずしも高速力で走行していたとは考えられないし、本件軌道敷の手前に長さ約一〇メートルのスリツプ痕が残されていることからも明らかなように、訴外山田全は右軌道敷の約一五メートル以上手前で一旦ブレーキをかけスピードを落したのである。

以上の事実からすれば、自動車の運転者山田全には事故の発生につき過失がなかつたというべきである。

B 本件自動車には構造上の欠陥や機能の障害がなかつた。即ち自賠法第三条但し書により被告は免責される。

三、本件事故は昭和三六年三月一九日であるから、本訴損害賠償請求権は原告らが本訴を提起した昭和三九年三月二日より前の昭和三八年三月一九日既に自賠法第一九条により時効が完成して消滅した。

四、被告が原告星野幸一を昭和四〇年一〇月三一日解雇するまでの間、被告は同原告を休職扱いとし、就業規則や休職規定などに基づき、賃金は労災保険による休業補償と併せて一〇〇パーセント支給し、賞与その他も一般従業員と同様の待遇をしてきた。即ち、原告星野幸一は休業補償給付金および被告会社からの休職手当その他合計二一一万七、三〇五円(源泉徴収、社会保険料などを含む)、障害補償給付金一一万七、二七五円を支給された。それゆえに同原告の逸失利益の損害は少くとも右金額の限度において補填された。

五、昭和四〇年四月九日関東労災病院及び横浜北労働基準監督署は共に同日をもつて原告星野幸一の傷害は治癒したと認定した。それゆえに同原告の労働能力はその日以降回復した。つまり、同原告は少くとも右の日以降労働能力を喪失していない。したがつて右四月九日以後における同原告の不就労の状態は本件事故とは因果関係がなく、同原告の自ら招いたものであるから、同原告のこの不就労による得べかりし利益の喪失を被告において賠償する義務はない。

第五、被告の抗争に対する原告らの反ばく

一、第四、一、二の主張を争う。

二、自賠法第一九条の規定は同法第一六条第一項の保険会社に対する損害賠償請求権ならびに同法第一七条第一項の保険会社に対する仮渡金請求権の各消滅時効に関する規定であつて、本訴損害賠償請求権の消滅時効に関する規定ではない。後者は同法第四条により民法に準拠するのが当然である。民法第七二四条によりまだ時効が完成しないことは自明である。

三、第四、四の主張中被告主張のとおりの金員を受領したことを認める。その余の事実は争う。

第六、慰藉料の数額を争う旨の主張

被告会社とその従業員は原告星野幸一に対し見舞金合計八万三、〇〇〇円を贈つた。このことは本訴慰藉料の数額の認定に当り考慮されるべき事情に属する。

第七、右に対する原告の認否

第六の事実は認める。

第八、証拠

一、原告ら

甲第一ないし第一二号証、第一三号証の一、二、第一四、第一五号証を提出。証人梶原晃の証言ならびに原告星野幸一、同星野カツエ各本人尋問の結果の援用。乙第一ないし第三号証の成立は不知。その余の乙号各証の成立を認めた。

二、被告

乙第一ないし第三号証、第四ないし第六号証の各一、二、第七、第八号証の提出。証人小田原真、同畑下一男、同三木護久の各証言の援用。甲第一号証と第一五号証の各成立は不知。その余の甲号各証の成立を認めた。

理由

一、(事故の発生)

請求原因第一項の事実は傷害の部位、程度を除き当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、原告星野幸一は本件事故により治療約一〇日間を要する頭頂部挫創、前額挫傷及び擦過傷の傷害を負つたことが認められる。そして〔証拠略〕に徴すると、同原告は受傷の日から約一〇日間橋爪病院に通院した後、横浜市立大学医学部付属病院整形外科(通称十全病院)に通院加療し、傷口はなおつたものの頭痛が残つたことを認め得る。また〔証拠略〕を総合すれば、同原告は右の以後同年四月七日以降右付属病院神経科に通院したが、当時既に「不眠、頭痛、意慾欠如、記銘及び記憶障害、不穏及び易怒を伴う頭部外傷後遺症」の傷害を受けていたこと、しかもこの後遺症は前記挫創等の傷害がその原因であつたことを認めうる。要するに、この後遺症は本件事故が原因となつて生じた結果であると認められる。

二、(被告の責任)

請求原因第二項(一)の事実は当事者間に争いがない。そこで第四、一、二、三の被告の主張について順次判断する。

(一)  原告星野幸一が本件事故当時被告会社労務部保安課所属警備員であつたことは当事者間に争いがなく、同原告本人尋問の結果によれば同原告に第四、一で被告が主張するとおりの任務があつたことが認められる。被告は同原告の右任務を強調し、同原告は普通の同乗者の様な第三者であるのではなく、運転者それ自身と同一視されるべき者であると主張する。ところが、本件自動車の運転に関して同原告がその運行を支配していたことを認めるに足る証拠がないことはもちろん、同原告が運転者山田全と共同し又は同人を補助する任務を有していたと認めるべき証拠もない。したがつて同原告を運転者山田全と同一視することは相当でない。一方、自賠法第三条本文にいう「他人」とは、自己のために自動車を運行の用に供する者ならびに当該自動車の運転者もしくは運転補助者を除く、それ以外の者をいう、と解すべきである。それゆえに同原告が右にいわゆる「他人」に当ることはおのずから領解されるところである。被告の主張は前記任務を強調するのあまり自動車の運転に全然関係していない者を自動車運転者と同一視しようとするものであつて、正当ではない。

(二)  被告は本件自動車の運転者山田全の無過失ならびに本件自動車の機能、構造上の無欠陥の事実を挙げて自賠法第三条但し書に基づく損害賠償責任の免除を主張する。そのためには被告側で、このほかに、自己の無過失ならびに被害者たる原告星野幸一又は第三者の故意又は過失の各事実を主張、立証する必要があること、法文上明瞭である。被告はその主張、立証をしない。したがつて免責事由の主張、立証として不完全であるというほかはない。

(三)  原告らの本件損害賠償請求権が自賠法第一九条により時効が完成して消滅したという被告の主張の理由のないことは、原告が第五、二において主張するとおりである。

以上の次第で、被告は原告らに対し自賠法第三条本文により本件事故によつて発生した損害を賠償する義務がある。

三、(損害)

(一)  原告星野幸一の被つた財産上の損害

1  同原告が事故の翌日から現在に至るまで概ね就労していないことは、被告の明らかに争わないところである。

2  同原告が大正一二年四月一五日生れであつて、事故当時満三七年一一か月であつたことは当事者間に争いがない。そして原告星野カツエ本人尋問の結果によると、同原告は普通の健康状態であつたことが認められ、また、満三七才の普通健康男子の平均余命年数が少くとも三三年であることは当裁判所に顕著な事実である。かつ、当裁判所が弁論の全趣旨により成立の真正を認めうる乙第二号証に徴すると被告会社の停年は満五五才であることが認められる。これらの事実を総合すると、原告星野幸一は本件事故にあわなければ事故後満五五才まで一八年間被告会社に勤務し得たはずであつたと推認し得る。原告は満六〇才まで就労可能であると主張するが、認めるべき資料はない。

3  同原告が事故の前年である昭和三五年中に被告会社から三八万六、六五九円の給与を得ていたことは当事者間に争いがない。

4  されば、右年額三八万六、六五九円を基礎としてその一八年分につきホフマン式計算法(複式)によつて民法所定年五分の割合による中間利息を年度毎に控除して事故当時の原価を求めると四八七万三、一四〇円(円未満切捨)となる。これが同原告の本件事故による得べかりし利益の喪失という損害額である。

5  証人小田原真の証言により真正に成立したことを認める乙第一、第三号証、成立に争いのない乙第七号証及び同証言を総合すれば第四、四の抗弁事実中、被告受領金額を除くその余の事実を認めることができる。そして被告受領金額が休業補償給付金および被告会社からの休職手当その他合計二一一万七、三〇五円、障害補償給付金一一万七、二七五円であることは当事者間に争いがない。

6  以上により、同原告の前記逸失利益の損害は右金額の限度で補填されたと言うべきである。

7  第四、五の点について審案するに

a 成立に争いのない甲第一三号証の一、乙第四号証の一、二、第八号証、証人畑下一男の証言と原告星野幸一本人尋問の結果を総合すれば、昭和四〇年四月九日関東労災病院医師は原告星野幸一の本件後遺症が同日をもつて治癒したむね認定し、また横浜北労働基準監督署長は同原告に関する労働者災害補償保険法上の障害等級を一二級一二号と認定したことが認められる。しかし証人畑下一男の証言によると、それは右法上の「治癒」を意味し、要するに症状が固定して従来以上の治療効果を期待できない状態を意味するものであることが首肯される。それは必ずしもいわゆる「完治」を意味するものでないことが理解される。言うなれば労災保険の対象とはならないという趣旨である。右一二級一二号の意味も右に説示したとおりに領解される。

b 一方、成立に争いのない甲第六号証、証人梶原晃の証言ならびに原告星野幸一、原告星野カツエ各本人尋問の結果を総合すると、原告星野幸一は本件自動車が転覆するや車もろとも路上に投げ出され、頭部を強打し、一時失神状態となつて、間もなく気がついたが、頭部に痛みを覚え、付近の橋爪病院にかつぎこまれたところ、全然眠ることができなかつたので、同日夕刻自動車で帰宅し、その後約一〇日間同病院に入院したものの、首が上らない状態であつたので、妻カツエと自動車の運転手とが同原告の両側からその両肩を支えて行く始末であつたところ、その後、前記横浜市大付属病院整形外科に通院して外傷は治つたけれども、頭痛が残つたため、同病院神経科の診断を受け、前記後遺症と診断されたが、以後そこに通院のかたわら自宅療養につとめ、同年六月七日から一時被告会社に勤務したのに、頭痛や不眠が波状的に続き会社に勤務したり、あるいは会社を休んだりすることが断続的に続いたので、同年一二月一三日市大病院神経科に再入院したものの、後遺症のなおりかたは思わしくなく、結局昭和四〇年六月九日まで精神病院である相模病院に入院し、そして昭和四二年一一月八日から昭和四三年四月一三日までの間精神病院である舞岡病院に入院治療した事実、同原告は受傷以来現在まで脳波検査を七回したが各回とも異常があつた事実、同原告には強力な薬物治療を行つたものの、現在も持続性の減退、意欲の減退などの病状が固定して存在している事実、同原告は現在でも精神が不安定で根気に欠け、一つのことに精神を集中させることが出来ない事実、たとえば近所に買物に行くにも子供の付添いがいり、妻の内職を手伝つても永続きしない事実、そして天候の悪いときは甚しい頭痛を訴えて臥床してしまい、いらいらしておこりつぽくなり、ささいなことで妻子をなぐりつけたり、家具を壊したりするなどの暴行を働く事実、要するに同原告は現在独立して社会生活を営み得る程の人格の所持者ではないこと、そしてそのような意味の人格が近い将来に回復する可能性に乏しいことが認められる。

c 以上を総合して考察すると、同原告の本件後遺症は治癒したが完治していないと認められる。

そして原告星野幸一は本件後遺症のため一定の職に就くことが現在不可能であることはもちろん、近い将来において、少くとも満五五才まで可能となる見込みがうすいものと認められる。証人畑下一男、同三木護久の各証言をもつてしてもこの認定を覆し得ない。他にこの認定を覆し得る資料はない。

8  上記認定の諸事実からして、同原告が現在に至るまで就労していない事実は、本件後遺症によるものと認めるのを相当とする。結局不就労と本件事故とが互に因果関係あるものと認められる。

9  されば被告の第四、五の主張は理由がない。

10  よつて同原告の本件事故による得べかりし利益の喪失という損害は、前記4の四八七万三、一四〇円から前記5の二一一万七、三〇五円、一一万七、二七五円、合計二二三万四、五八〇円を控除した二六三万八、五六〇円である。

(二)  原告星野幸一の被つた精神上の損害

同原告が本件事故により前掲後遺症を被り、多大の精神的苦痛を受けたことは推認するに難くない。その受傷の動機、原因、部位、程度、現在に至る治療の経過、完治の見込の有無、同原告の被告会社における地位、給与、年令、家族状態、生活環境など証拠にあらわれた諸般の事情ならびに当事者間に争のない第六の被告主張事実を総合すると、同原告の精神的苦痛を慰藉する金額としては金一〇〇万円が相当であると認められる。

(三)  原告星野カツエ、同星野君子、同星野秀夫のそれぞれ被つた精神上の損害。

原告星野カツエが原告星野幸一の妻、原告星野君子、同星野秀夫の両名は幸一の子であることは当事者間に争いがない。さて、第三者の不法行為によつて身体を傷害された者の配偶者及び子は、民法第七一一条の法意に鑑み、右傷害の為に被害者が生命を害された場合に比して著しく劣ることのない程度の精神上の苦痛を受けたときに限り、自己の権利として慰藉料を請求できるものと解するのを相当とする。前記認定のように、右三原告の夫であり、父である原告星野幸一が本件事故により長期間精神病院に入院しており、また在宅のときは幸一から時として暴力を受けることがあつたのみならず、幸一の本件後遺症は完治の見込みがうすく、就労も不可能であるから、幸一の家族として扶養されていた右三原告にとつては幸一の本件受傷は一家の支柱を失つたも同然であつて、将来の生活に対する不安は大きいと言わなければならない。かような状況からして、右三原告は幸一が死亡した場合に比して著しく劣ることのない程度の精神上の苦痛を受けたものと推認される。したがつて右三原告は自己の権利としてその精神的苦痛の慰藉を被告に対し求めることができると認めるのを相当とする。そして、(二)に掲げた諸事情や右三原告の性別、年令、職業、家族における地位など、証拠にあらわれた諸般の事情を考えあわせると、原告星野カツエの精神的苦痛を慰藉する金額としては金三〇万円、原告星野君子、同星野秀夫の両名の精神的苦痛を慰藉する金額としては各一〇万円がそれぞれ相当と認められる。

四、(結論)

以上により、被告は原告星野幸一に金三六三万八、五六〇円、原告星野カツエに金三〇万円、原告星野君子、同星野秀夫の両名に対し各金一〇万円、ならびにこれらの金員に対するいずれも訴状送達の日の翌日であることが記録上明白である昭和三九年三月六日以降完済日までの年五分の割合による民事法定遅延損害金を支払う義務がある。原告星野幸一の本訴請求は右を求める限度で正当であるからこれを認容し、その余は失当であつてこれを棄却する。その他の原告の本訴請求は正当であるからこれを認容する。よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条に従い、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 高橋雄一 新海順次 生田瑞穂)

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